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地域とともに、持ちつもたれつ

三木 正美さん、知子さん

移住には良いことも大変なこともある

「生活はええですよ。でもそそのかしたらアカンと思ってます」。

このひと言に17年間の思いが詰まっています。17年前に士幌町へ移住した三木さん一家は、地元の人たちとの関係づくりや子どもたちの教育、店の経営などさまざまな困難に直面してきました。

士幌町下居辺の大自然の中での生活は良いことも、大変なこともある。中途半端な気持ちだったら来ないほうがいい。2人は移住者の先輩としてこれまでの出来事を話してくれました。

受験戦争をさせるくらいなら…、と移住を決意

北海道へと移り住んだのは正美さんが50歳のとき。2人の娘は共に小学生でした。「大阪は中学受験なんです。みんな塾に通って戦争ですよ。それをさせるくらいならと思って」。渡航費や引越し費用は相当かかりましたがが、心機一転、士幌での生活をスタートさせたといいます。

ちなみに士幌町を選んだのは、長女が小学5年生のときに上士幌町北門小に山村留学をしたのがきっかけなのだとか。

住む場所として選んだのは士幌町下居辺。町内の南東部に位置する、のどかで静かな山里です。三木さんはデントコーン畑を農地転用し、家とレストランを新築しました。

「土地は向かいの酪農家さんが『住むならいいよ』と言って売ってくれました」。17年前に建てたログハウス風の店内は木のぬくもりが心地よく、「カントリーロード」という店名がよく似合います。

地元の人との温度差を感じる日々

しかし、地元の人々との温度差は暮らしていくうちに表面化していきました。「スローライフに憧れて来たけれど、朝から散歩したり、外でのんびり過ごしているのは私たちだけ。『暇なの?』と不思議がられます」。

下居辺地区で暮らしているのはほとんどが農家で、普段から自然を相手に仕事をする人たち。何もなければ外で過ごしたりはしない。けれども三木さんからすれば、手つかずの自然が目の前にあるのに避けていく北海道の人たちのほうが腑に落ちなかったと言います。

「雨が降れば子どもたちは外に出ないし、2キロ先の学校まで親が車で送り迎えするんです。冬に雪遊びしている子なんていませんよ」と知子さん。たしかに、十勝の農村地帯は家と家の距離が遠く、友達の家に遊びに行くのも親の車が必要だったりします。

カルチャーショックはありつつも、士幌に住み続けた

子どもたちの高校受験のときにも驚くことがありました。「多数の子が車で40分かかる帯広の塾に行っていました。塾に通うことがステータスになっている気がします」。大阪の受験戦争を知っている三木さんにとっては信じがたい事実でした。それでも娘を学校で孤立させないために、次女は帯広の塾に通わせたといいます。

小さなことだらけですが、重なるとカルチャーショックとなっていきます。「気にしなければいいだけかもしれない。でも家族はそれぞれが地域のコミュニティに入っているから。多少は周りに合わせるべき」。郷に入っては郷に従え。ある程度は地域社会に同調しないと田舎暮らしは難しいのです。

それでも三木さんが士幌を離れることはありませんでした。「僕はね、ここにいるだけでいい。自分のペースで生活できるから。自然のリゾートやもん」と話すのは正美さん。時間に縛られることが苦手な正美さんにとって、自然の中での自営業はぴったりでした。

認めあうこと、持ちつ持たれつの関係を作ることが大切

下居辺の自然を守り育てていく活動の一環で、地域の人たちと協力してハスカップの栽培の手伝いもしています。知子さんは「農家さんには農家さんの考えがある。お互いに認め合うことで、温度差は解消されていくと思いますよ」といいます。

カントリーロードの敷地内の除雪は、重機を持っている農家の人が交代でやってくれるそう。また、三木さんは地域のこまごまとした町内会仕事を引き受けています。持ちつ持たれつの関係で17年住み続けることができているのです。

そんな三木さんが地方移住の次の課題を教えてくれました。「私たちのような一代目はいいですよ。けれど、二代目以降はその土地に残ってくれるでしょうか。うちも長女は十勝にいますが、次女は本州です」。

「一つの家が移住先で永続的に歴史を紡いでいくためには」。今後、多くのまちが抱えることになるだろう課題の一つといえます。移住の先輩は次世代への大切なヒントをくれたのではないでしょうか。